鈴木徳昭(オフト監督の通訳)のプロフィールや職業は?東京五輪の招致に貢献!

こんにちは!

今回は、オフト監督の通訳として「ドーハの悲劇」を体験した鈴木徳昭さんについて見ていきたいと思います。

2020年に開催される東京オリンピックの招致にも貢献した鈴木徳昭さんとはどういった方なのでしょうか?

鈴木徳昭さんのプロフィールや経歴などについてまとめました。

是非ご覧ください♪

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鈴木徳昭のプロフィール

鈴木徳昭 プロフィール

右が鈴木徳昭さん

画像引用元:https://www.advertimes.com/20131023/article130412/

まずは、鈴木徳昭さんのプロフィールから見ていきましょう。

名前:鈴木 徳昭(すずき とくあき)

生年月日:1961年12月3日

年齢:56歳(2018年10月時点)

学歴:慶応義塾大学

冒頭でも触れましたが、鈴木徳昭さんはオフト監督の通訳として活躍されました。

「ドーハの悲劇」はサッカーファンではない人でも聞いたことがあるのではないでしょうか。

1993年にカタールのドーハで行われたサッカーW杯アジア地区最終予選のことでした。

W杯の本大会初出場が目の前まで来ていましたが、後半ロスタイムに失点し、予選敗退に終わった悲劇のことを言います。

それから25年後の2018年のW杯で日本はポーランド相手に負けているにもかかわらず、予選突破をかけて後半に時間稼ぎをした消極的なプレーをしました。その際にも「ドーハの悲劇」が持ち出されて話題になりましたよね。

鈴木徳昭さんは当時「ドーハの悲劇」を間近で見たスタッフの1人でした。

鈴木徳昭の経歴!職業は?

鈴木徳昭 経歴

鈴木徳昭さんはオフト監督の通訳をしましたが、本業は通訳ではないようです。

ここでは、鈴木徳昭さんの経歴について見ていきましょう。

鈴木徳昭さんは慶応義塾大学を卒業後、日産自動車に入社します。

1993年10月までは日産自動車サッカー部の運営強化担当をしていました。

オフト監督の通訳をしたのがこの頃ですね!2008年12月まで日本サッカー協会に在籍していました。

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その後、国際サッカー連盟(FIFA)に出向し2002年のW杯招致委員会で日韓W杯開催に携わります。2006年からはアジアサッカー連盟(AFC)に出向し2012年4月に東京招致委員会の戦略広報部長に就任しました。

以上が鈴木徳昭さんの簡単な経歴です。

なるほど、ずっとサッカーに携わってきたんですね!

通訳は語学力があった鈴木徳昭さんに依頼があり、通訳を担当しました。

鈴木徳昭が五輪の招致に貢献!

鈴木徳昭 経歴

日本サッカー協会から出向し、招致委員会の戦略広報部長を務めた鈴木徳昭さんは東京五輪招致に大きく貢献しました。

2013年だったでしょうか。招致アンバサダーの滝川クリステルさんの最終プレゼンでの「おもてなし」が印象的でしたよね。

鈴木徳昭さんのこれまでの経験が買われ、戦略広報部の中心で活躍します。

表に出ている人ばかりが注目されますが、裏で戦略を練って実行している人がいることを忘れてはいけませんね。

2020年の東京オリンピックが成功することを願っています。そして何よりも日本でトップアスリートの戦いを観られることが楽しみですね♪

鈴木徳昭は石原良純と同級生!

鈴木徳昭 経歴

鈴木徳昭さんは石原良純さんと同級生です。

2人は中学時代にサッカー部に所属していました。鈴木徳昭さんはサッカーの実力がピカイチでサッカー部の中心的存在だったそうです。

当時から「日本にもプロサッカーリーグが出来る」と話ていたそうで、サッカーに対する情熱がとても強い方だということがわかります。

そのサッカーへの情熱をもってサッカー界に携わり貢献してきました。そして、その経験を活かし、東京オリンピックの戦略広報部長として活躍しました。

まとめ

今回は、鈴木徳昭さんについて見てきました。

2018年10月10日のテレビ朝日『あいつ今何してる?』で鈴木徳昭さんが紹介されます。

ゲストで石原良純さんが登場し、鈴木徳昭さんとのエピソードを語りました。

2人とも違った舞台で活躍されていて尊敬します。

今回は、鈴木徳昭さんの経歴などについてまとめさせていただきました。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました!

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