こんにちは!管理人のゆー。です!
今回は、医師として活躍した中村裕(なかむらゆたか)さんについて見ていきたいと思います。
中村裕医師は1964年に開催された東京パラリンピックを大成功させた方で「日本パラリンピックの父」と呼ばれています。
そんな伝説の中村裕医師の経歴や所属病院などについてまとめました。
是非ご覧ください!
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中村裕医師のプロフィール
画像引用元:http://www.taiyonoie.or.jp/sports
まずは、中村裕医師のプロフィールからご紹介します。
名前:中村 裕(なかむら ゆたか)
生年月日:1927年3月30日
死没:1984年7月23日
出身地:大分県
出身大学:九州大学 医学専門部
中村裕医師は大分県別府市生まれの整形外科医です。
中村裕医師と言えば、やはり東京パラリンピックです!1964年に開催された東京パラリンピックを大成功に導いた方です。
その功績から「日本パラリンピックの父」と呼ばれました。
また、障がい者スポーツやリハビリを日本に広めた医師として知られています。
他にも障がい者の自立を目的とした施設「太陽の家」を設立しました。
中村裕医師は1984年に57歳の若さで亡くなっています。
中村裕医師のドラマ化が決定!
2018年夏にNHKでスペシャルドラマ「太陽を愛したひと ~1964 あの日のパラリンピック~」が放送されます。
このドラマでは、中村裕医師の波乱の人生が描かれています。
中村裕医師を向井理さんが演じ、上戸彩さんが中村裕医師の妻を演じます。
中村医師は、日本に初めて車いすバスケットボールを紹介した方として知られています。
ドラマでは車いす少年との出会いから東京パラリンピックの実現までの波乱の人生が描かれています。
中村裕医師の所属病院は?
中村裕医師の所属病院について見ていきたいと思います。
中村医師は大分県の大分中村病院で勤務していました。それまでは九州大学病院や国立別府病院で活躍していました。
大分中村病院は中村裕医師がリハビリテーションを目的に1966年に立ち上げた病院です。
大分中村病院の地図はこちら!
JR大分駅から徒歩約20分の所にあります。
現在は息子である中村太郎さんが理事長を務めています。
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中村裕医師の経歴
中村裕医師の経歴をご紹介します。
「日本パラリンピックの父」はどのような略歴なのでしょうか?
リハビリテーション研修
当時はリハビリという言葉すらなかった時代です。日本ではまだ未開の分野であった医学的リハビリテーションの研究を中村裕医師は行いました。
1960年に研修先のイギリスで、スポーツを取り入れた障がい者医療を学び多大な影響を受けます。
特にイギリスのグットマン博士からの指導は中村裕医師に大きな影響を与えることになりました。
日本に障がい者スポーツ広めたい!
日本に戻った中村裕医師は、障がい者スポーツを何とか広めようとします。
しかし、絶対安静が常識だった当時は世間からの批判にあうことになります。
それでも中村裕医師は患者や関係者を熱心に説得し、1961年に日本で初めて障がい者体育大会を開催します。
その後、1964年の東京パラリンピックを実現させて欲しいとの依頼が来ます。
東京パラリンピックを実現へ!
中村裕医師は1964年の東京パラリンピックを実現させるために動き出します。
しかし、患者にスポーツをさせることに抵抗を持つ人が大半を占めており、なかなか受け入れられない日々が続きます。
中村裕医師は障がい者を熱心に説得し、関係機関を訪れてはパラリンピックの開催を説得知る日々・・・
そんな中、1962年のストーク・マンデビル大会に日本から2名の選手が参加しました。
この大会がきっかけで日本でも障がい者スポーツの認識が少しずつ広まるようになりました。
その結果、東京パラリンピックの開催の許可がおり、開催が決定しました。
東京パラリンピック大成功!
1964年11月8日に東京パラリンピックは開催されました。
中村裕医師は日本選手団団長に選ばれ参加しました。
日本人選手は金1・銀5・銅4という堂々の成績を収め、東京パラリンピックは大成功に終わりました。
その後は、障がい者自立のための施設「太陽の家」を設立しました。
そして、リハビリテーションを専門的に行う病院が必要ということで大分中村病院を創設しました。
※パラリンピックの歴史や競技がわかる一冊です。2020年のパラリンピックに向けてあると嬉しい1冊ですね!
※中村裕医師の広めた車いすバスケの現在日本人唯一のプロ・香西宏昭選手にスポットを当てた本が2018年4月に出版されました。かけがえのない仲間との巡り会い、目標へむけた果敢な挑戦を描いた、熱気あふれるノンフィクションです!
まとめ
今回は東京パラリンピックを成功させた中村裕医師について見てきましたがいかがだったでしょうか?
当時はまだリハビリという言葉もなく、常識から外れた行動でかなりの批判を受けたそうです。それでもあきらめずに障がい者スポーツを広めてくれた功績は大きいですね!
2020年には再び東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。ここまでパラリンピックが大きくなったことを中村裕医師に感謝しながら競技を楽しみたいと思います。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました!
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